9大聖者のアカシックレコードリーディングについて

このリーディングの全体的内容説明は、こちらのブログをご覧ください。
ここで取り上げる9人の大聖者は、旧約聖書に載っている人物です。
この9人は、イエス、シャカ、マリア以上の霊意識を感じた大聖者です。
この大聖者を、人間レベルの私の判断で、霊意識の強さと質で段階分けしました。
4次元レベルでは、この9人の段階分けはまったく無意味というしかありません。
しかし、私やこれからこの世界に入っていこうとする人にとっては、霊意識の段階を探求する上で、これ以上の支えになるものはないと思っています。

9人の各人物像は、たくさんの参考文献の内容から大体のことがわかると思います。
しかし、長い時間の流れを経た今、その記述が本当かどうかまでは、誰も知ることはできません。
まして、本人の内的意識になると、ここまでは絶対無理です。

このリーディングでは、本人の意識がどうであったかに焦点を当てています。
それは、歴史書で書かれてあることと一致しない点もあると思います。
内的意識はわかったとしても、ほとんど違った人物像になるかもしれません。

イエスの場合であっても、すべて自分の能力を思いのまま行使していれば、一つも問題になることも面倒なことも回避出来たはずです。
このような大聖者方には、私たちにはわからないもっと重要な使命が、誰も気づかないところにあったのかもしれません。

この9大聖者方は、イエス、シャカ、マリアの延長上にいる方です。
意識的には、イエス、シャカ、マリア以上になります。
もう一度言いますと、この段階、差のつけ方は、人間世界の方法ではありません。
すべて霊的意識の世界の表現になりますので、誤解しないようにお願いします。

9大聖者方、一人ひとりの霊意識を説明する前に、イエス、シャカ、マリアの時と何が違うか、またどうしてそれ以上と感じたのか、を説明したいと思います。

この12人の大聖者は、アカシックレコードリーディングという方法で、私が無意識的に接して感じとった意識的感じです。
すでに、イエス、シャカ、マリアのリーディング内容は載せてありますので、それを読むと意識的感じというのがどういうことか掴めると思います。
今回のリーディングで、イエス、シャカ、マリアの時と、明らかに違う点をこれから書いていきます。
このレベルになると、言葉で表現することも難しくなりますので、その点も理解してください。

まず、9大聖者方は集中点がないこと、これはチャクラとか体の特定の箇所に集中しているところがないということです。
しかし、私は集中しているエネルギーは感じています。
それは、これまでの波動振動測定で感じたり反応したりする、自分の体のどこかではないのです。
不思議なことですが、私はそれが自分の体から離れた自分、別なもう一つの体で感じていることを、段階が上がるリーディングでだんだん感じるようになったのです。
この9大聖者の感じは、振動ではありません、エネルギーでもありません。
それは、霊意識です。

この霊意識のエネルギーを感じるのです。
それには、当然強さはありますが、体では振動的、エネルギー的なものは一切感じないのです。
私はそれをどこで感じているかを、リーディングの回数を重ねていくうちにだんだん意識するようになりました。
自分の体でもない、意識でもないとしたら、それはアストラル体しかありません。
それと、これはまったく苦しいリーディングで気づいたことですが、もしかしたらメンタル体も・・、これも少し意識するまでになりました。
とにかく、アストラル体については、これから続けるリーディングではっきりしていくと考えています。

この9大聖者のリーディングは、この後ずっと続けていきますので、また何か発見があれば追記で載せていきます。

とにかく、イエス、シャカ、マリアの時と何が違うかは、少し理解してもらえたと思います。
このようなことを意識しながら、リーディング内容を読んでもらうと何か感じるかもしれません。
もう一つ、この後の説明文ですが、その内容はこの世にあるもの、また似たようなものなど、五感的、潜在意識的にもすべて接点がないものですので、イメージする時は意識拡大をしてください。(2013・1・28)

 ダニエル (紀元前6世紀)  

穏やかさとやさしさが一体となっている。
静謐、完全余裕。
一体感としては、絶対的安定で微動だにしないといった霊意識。
シャカの完全な癒しの優しさとは違って、この霊意識のエネルギー的感じは、悟り的やさしさといった感じです。
本来、悟りというものも無いのですが、あえてシャカの感じと比較するとこういう感じという意味です。

やさしさでも、シャカとは質が違います。
奥の方に無限に拡大している、本当に勢いがある感じでずっと無限に・・。
しかも、そのやさしさは、どんどん密になっていくといった感じです。
やさしさが濃くなっていくというのも変な表現ですが、どう表現していいか・・。

やさしさの泉、やさしさのエネルギー意識の根源、霊界そのもの。
シャカのやさしさの根源はここなのか、と感じるほど根源ということを意識させられます。

やさしさの根源を感じさせてくれる、ここからやさしさが出て来るのか・・、といった感じです。



 エリヤ (紀元前 ?)

ダニエルより、さらに霊意識の拡大を感じます。
さらにさらに、奥の方へと引き込まれていく感じです。
何も思わずとも、自然にこの世の意識から離れていきます。
自分の体、といっても意識としての体ですが、それから引き離されて何か別な自分の意識体にいるようです。

エリヤのリーディング集中では、本当にいろいろな体験をしました。
リーディングを始めてから、回数を重ねるごとに、いろいろなものを感じさせ、体験させてくれました。

エリヤのリーディングは、最初の頃はこんな感じでした。
肩から上が、光の雲に包まれているような感じでした。
光と言っても、この世で感じる光ではありません。
温度、反射、まぶしさなど、霊界の光は抵抗がない、光の根源がわからないのです。
何故か、肩から上のほうなんです。

強いエネルギーは感じるけど、私たちが知っている感じのパワーではありません。
イエス・シャカ・マリア以上になると、振動とかエネルギーとか、そういったものとは違う世界になっていきます。
このARRは、人物の意識を知るためのARRですが、意識というよりそれ以外の神秘や深い世界を体験させられています。

エリヤのリーディングに慣れてきた頃、また変化がありました。
じっと集中していると、何故か、自分の肩から上(首・頭)がだんだん消えて無くなっていくのです。
そこに残るのは、透明な感じで、何となく意識的に残像を感じています。
そのままじっとしていると、今度は肩から下に向かってどんどん体が消え始めます。
しかし、それはみぞおちあたりまで、そこで止まります。
透明人間を思い浮かべてみればわかりやすいと思いますが、上半身だけが透明になっているのです。
自分にはその姿が見えるのです。
その時の意識的感じは、この世的に言うと、さわやか、すがすがしいといったものです。
リーディングしているときは、すべての映像、その場の感じ、動きなどは、私は何もしていませんが自然に現れてくるのです。

リーディングも10回近くなったとき、次のようなことがおきました。
私の意識体、それは頭の周りになりますが、後光のようなものを感じました。
その世界は、自分の感じだけでなく、自分の外もすべてわかるのです。
頭の周りの後光が広がっていく感じで、その輪のようなものは、何重にもなって独特な生命のゆらぎといった脈動が伝わってきます。
まるで、霊界への集中、同調を教えているような感じです。

内なる意識は無限、永遠、それをさらに感じさせてくれるエリヤの意識です。
質は違いますが、マリアの愛の根源的な感じがしました。

仏像や仏画、イエスやマリアを描いたものにも、後光をあらわしたものがあります。
それは、光背とも言われていますが、それをその当時から描かれていたということは、やはりそれを見て知っていた人は何人かいたのかもしれません。

アストラル界からもう一段上の界に上るには、意識の世界においては、もうみぞおちから下の体は不必要だという意味なのか。
私は、今回の9大聖者のリーディング内容は、「生命の樹」の神秘を探求しながら何かを感じとろうとしています。

9大聖者のリーディングはずっと続けていきますので、また何か見せてくれると思っています。
いい表現の言葉が、なかなか思い浮かばないで苦労していますが、また追記できたらと思っています。

この後の、7人の大聖者方の内容も、ますます神秘に入っていきます。



 デボラ (紀元前 ?)

この世で最高意識の偉人聖人、そのさらに高い霊的意識がイエス、シャカ、マリアです。
そのイエス、シャカ、マリアをさらに超えた霊意識は、どう捉え理解していいかまったくわからない、といったことになると思います。
しかし、これはARRによる記録ですので、これからの大聖者方の霊意識も感じたままを表現していきたいと思います。

デボラの強力なエネルギーは、これまでの振動測定やARRにも無かった驚きの体験になりました。
強力なエネルギーとしか表現できないこのパワーは、私の無意識の自分、そこにいる私の体でわかる、その感じというしかありません。

じっとリーディングに集中し、意識がある深さに到達すると、それからさらにぐっと奥の方向に後退させられる感じで世界が変わっていきます。
その世界にも自分の意識がいます。
そこにいる私の意識は、自分の体全体を別角度から見えているのを自覚していますが、同時にその見えている自分自身も意識しています。
すべてが自動的に、内から、外から、それも角度を変えて見え感じていられるのです。

デボラにリーディング集中していると、その内的場にいる自分が何かを感じています。
後頭部から背中にかけて光ではないが、そう表現するしかない強力なエネルギーを照射されている感じがしたのです。
体の奥まで浸透してくる感じです。
何と言っていいか、これは初めて体験する驚きのパワーです。
パワーと言っても、これまで感じてきたパワーとはまったく違い、何も感じないが自分のどこかですごいと感じているのです。

ここからエネルギーを受けるのは初めてで、だんだん何かが変化し始めていきます。
ここからというのは、後頭部や背中側ということです。
霊界とか霊界意識のエネルギーなのか、霊的神性エネルギーなのか、次にこのエネルギーが見えるように動き出し、信じられないことが始まったのです。

私の体の背後から、このエネルギーが少しずつ進入してきます。
それを別な角度から見ている自分がいます。
エネルギーが進入し始めると同時に、私の体が消えていきます。
それは私の意識体で、まだ次元的境界のネガティブが残っている自我意識体です。

それが少しずつ消えていくのです。
いや、消されていくといった方がいいかもしれません。
それもきれいな消されかたで、わかりやすくたとえると、日食や月食の感じです。
日食や月食は少しずつ欠けていきますが、そんな感じで私の体も少しずつ欠けながら消えていくのです。
その消えていく様子、その境界線は日食や月食よりもくっきりしています。

それを感じている自分がいます。
体の一部分が消えて無くなっているのもわかっています。
自分の頭や背中の部分が消えて、完全に無くなっていくのです。
でも、それは何かさわやかで心地いいといった感じ、と表現するしかありません。

4次元的境界を超えるために障害となる、私のネガティブ自我が浄化されていくようです。
この浄化がないと、さらに高い段階に入れない。
何か大事なことを無意識的に感じさせてくれているようで、今感じている意識で消えていく頭から背中を見ながらその情景にただ圧倒されていました。
霊的純粋に自我が消されていく感じは、ただその真実の場にいる自分があるのみで、もう何も無い、それだけです。

この体験は、4,5回デボラのリーディングをするたびに自動的に誘導されました。
デボラの意識から、すごいことを教えてもらいました。
それは、意識の浄化、そして意識の霊化です。
その変化を、実際に私のリーディングで、その中の意識と意識体で感じさせてくれたのです。
意識が浄化される段階、この世意識に残るネガティブが消えていく段階を見せてくれたのです。

このネガティブ浄化の霊的パワーを、いつか何とか人のネガティブ解消の役に立てられないかを研究したいと思っています。
何故なら、この体験で私自身はさらに変わってしまったからです。
そして、ネガティブのことがもっと深く理解出来たのです。

意識浄化の体験から、デボラの霊意識は、イエス・キリストの霊的パワーの根源的な感じがします。
それは、イエスのリーディングの時にも、ネガティブの浄化を感じたからです。
このデボラのエネルギーに触れたおかげで、これまではっきり意識出来なかったイエス・キリストの霊的エネルギーを、完全に意識出来るまでになったのです。

デボラのリーディングで感じたことは、これ以外にもありますが、9大聖者のリーディングはずっと続けていきますので、また追記したいと思います。

9大聖者のアカシックレコードリーディングは、リーディングというより神秘体験になっている感じです。

無限振動パワーの世界:第3神性意識界(デボラ ダニエル エリヤ)


 ソロモン (紀元前1011年?~931年?) 

ソロモンのARRは、旧約聖書に登場する人物50人以上のARRをする前に、すでに見ていました。
リーディングをして本当に驚きました。
最近のARRは驚きの連続ですが、ソロモンの場合はまったくこれまでとは違う驚きを感じたのです。

波動振動測やARRによる人物の意識レベル判断は、癒やし系か悟り系か、そのどちらかでまず大きく分けています。
これまでレベルの高い人物の意識は、ほとんどこのどちらかに入っていました。
イエス、シャカ、マリアもそうです。
それが9大聖者のリーディングからは、少しずつ癒やし系悟り系の感じが薄れ、何かその癒やしや悟りの感じを全部一つになっているような意識に変わってきています。

ソロモンの意識は、この癒やしや悟りといったものは一切感じない、まったく新しい意識を感じたのです。
ソロモンのリーディングに集中した時の感じです。

まず、何とも言えない意識の絶対調和、美を感じてきます。
それはとてもやわらかい、やわらかいと言ってもこの世で感じるものではなく、すべてが満たされた心地良さという感じです。
それが、私の意識の中にまとわりつくように浸透してきます。
これだけでも、うっとりです。

これが真の安らぎか、ただじっとそのままでいたい、こんな思いだけになります。
これだけでもすごいと感じるのですが、驚きを感じたのはその後なんです。
この感じだけだと、癒やし系で終わります。
良い感じで終わるのではなく、この良い感じは次のための準備だったのです。

次に来た感じは、私は「なに、これ!」と、意識の中で思わず絶句。
少し時間が経ってから、この感じの表現は、これまで私が誰にも使ったことの無い言葉、それが自然に出て来たのです。
おそらくあなたも、誰かに使ったことが無い言葉だと思います。

「麗しい、麗しすぎる!こんな意識があるのか!」
自分でも何を言っているのか、この言葉が正しいのか、麗しいでいいのか・・・。
そんなことより、この言葉しか出て来なかったのです。

この世の感じとはまるで違いますが、言葉を並べてみるとこういう感じです。
気品 優雅 高貴 優美 美麗 華麗 壮麗 
でも、こんなものではない。
限りなく麗しいと言った表現は想像がつくでしょうか。
最高の想像が出来たとしても、格がまったく違う、そんな言葉もイメージもまったく及ばない麗しさ、真の美。
美の絶対調和、美の霊的香り、美の臨界か・・。
こう言っても違うと否定したくなるくらいです。
でも、こう言うしかないのです。

イエス、シャカ、マリアの世界、次の界はダニエル、エリヤ、デボラ、そしてさらにその上の界の最初がソロモン、そしてエゼキエル、アブラハムと続く。
ソロモンの界は、また一段と霊意識を感じさせる世界になっています。

真に満たされた後にくる霊的意識とは、こういう状態なのか。
神世界に触れたという喜びではなく、神が顕現していることを神妙に感じている自分を自覚していました。
3次元はもう別世界という感じで、人間意識など微塵も無いすばらしい世界があるのです。それが、真の魂意識の世界なのかもしれません。

そんな魂の世界があることを、はっきりわかったソロモンのリーディングでした。


 エゼキエル (紀元前598年~597年) 

これまでリーディングしてきた4大聖者は、イエス、シャカ、マリアの意識よりさらに深い世界の感じを表現しています。
しかし、このエゼキエルになると、その感じを表現することがさらに難しくなってきます。
感じる意識は、一段と深い透明感を感じる世界になっていきます。

エゼキエルの意識は、これまでとは違って、沈黙の世界です。
沈黙と言っても、暗いといったイメージの世界ではなく、本当に何も無いがとても軽い、でも何も無いといった表現になります。
霊意識に共通しているのは、すべて軽いということで、このような世界には重さはありませんが、意識が無いような感じで軽いとなるのです。

エゼキエルの霊意識エネルギーは、私の別な意識体で感じているものを、それを私の無意識で受けているといった感じです。
かなり深いところまで入り込んでいく感じで、意識自体が一気に静かになっていきます。

エゼキエルの意識を表現すると、純粋、純粋の泉といったことしか出て来ません。
何も無いけど無ではない。
美から美と意識させるものが抜けたあとの意識の感じ。
ただ、純粋、それだけで他に何も無い。
この世的に言えば、どんなものにも属さない、まだそれに対して名付けられもしていない、まだ発見されていないが実際にあるもの。
何か変な言い方になってしまいましたが、変な表現がその場の感じということなんです。

ここまで来ると、リーディングとか集中といったことも忘れてしまいます。
ただ、じっとそのままでいることが、一体感といった感じになるのです。
純粋ですから、自分が何の想念も完全に無くなるということは、意識ですが無理です。
またそれは、今の自分意識では困難なことです。
その純粋に対して、自分の無意識の反応が逆に印象付いたくらいです。

それはどういうことかと言いますと、リーディングが終わってから、その無意識の反応をよく分析してみました。
すると、霊意識の世界を目指す自分にとって、まだまだ自我の滓が残っていることに気づくことが出来たということです。
何でもそうですが、善いものに触れて自分の未熟性に気づいたり感じたりするものです。
このような気づき方も大事です。

エゼキエルの意識は、当然この世的感じの意識ではありませんが、その意識を表現する言葉はこの世にある意味に戻って来ます。
言葉からはわかりやすいのですが、実際は無いくらい静かな意識に感じます。

静謐 沈黙 純粋、そこからどんな想念も出てこない純粋。


 アブラハム (紀元前 ?) 

アブラハムのリーディングに入ると、これまでとは違う感じにすぐ気づきました。
まず、意識が奥の方へと後退させられるように、深く入っていきます。
意識はこれまで以上にだんだん軽くなって来ますが、それでもちょっと違う軽さです。
これが霊意識そのものか、と思いたくなるような軽さで、それを軽さと表現していいのか。
この軽いという言葉を使っていること自体、重く感じるくらいです。
霊界意識ですから、重さという感じも意識から無くなっていくようです。

アブラハムのリーディングも、最初の2,3回はこんな感じでした。
しかし、それ以降アブラハムのリーディングがだんだんつらくなって来たのです。
リーディングしていると、だんだん気持ち悪くなって来るのです。
最初のリーディングでは、このようなことが一切なかったのですが、ここに来ていきなりの変化です。

どうしたのか、アブラハムは超ネガティブだったのか・・。
これは、アブラハムだけのリーディングでしたら気づかなかったかもしれません。
メルキゼテク、ノア、レメクの時も同じような状態になりました。
それも、リーディングの段階がノア、レメクと上がるごとに、だんだんきつくつらくなっていくのです。

それでわかったのです。
壁、つらくなったのは、壁です。
どこかに残っている自分の気づかないネガティブが、アブラハムの霊意識に反発されていたのです。
まだどこかに残っている、自分の無意識ネガティブが霊意識に反発されていたのです。
自分のネガティブに自分自身が気持ち悪くなる、まるで霊的法則そのものの世界です。

本当は、超軽くなった意識から、もっとアブラハムの深い意識の世界に触れたかったのですが今の私の意識では無理なようです。
今は、アブラハムのエネルギーは、このくらいしか表現出来ません。

あとの3大聖者はどうなることか・・。


 メルキゼテク (紀元前 ?) 

アブラハムと同じく、最初はすばらしい感じに、ただじっとしているだけでした。
メルキゼテクの深い意識に引きずり込まれていく中で感じていたのが、バランス・静寂といった言葉の表現になります。
しかし、実際は静寂の中のバランスで全くの動きは無しでした。
それをどのように表現していいかわかりません。
「大調和バランスの神髄」
これも、何か動きを感じます。
動きは無いが、でも動いているのです。

私の全身、全意識が霊的か何かわからないが振動している感じがありました。
しかし、それに意識を向けても何も無くされてしまう、という感じでわかることが出来ないようになっているのかもしれません。
私の意識が、どこかに飛ばされてしまうような感じでした。

気を失っているのか、何がなんだかわからない中でも、ただ「ここがいい、このままいたい」という自分の感じはありました。
そのような感じの中にいるうちに、はっとして自分に戻るのです。
最初のうちは、全部のリーディングがこんな感じでした。

メルキゼテクは霊界振動の光輝。
静謐の中に燦然と輝く霊界の星。
こんな程度では無いのですが、とにかく表現することに限界があります。

その後のリーディングは、ただつらいといったリーディングでした。
意識をメルキゼテクに合わせじっとしていると、少し最初の頃のいい感じがやってきます。
そのあとで、いきなりつらくなるのです。
意識で触れているのですが、思わず自分の意識を縮めてしまうくらいのエネルギーを感じます。
強すぎてつらいので、反射的に意識がそうなってしまいます。
がんばって少し耐えてみたときもありますが、結局、意識でハァハァしてしまいます。

何もしていないのに、意識を集中しているだけで、ハァハァしてしまうなんてことは初めてでした。
本当に押し返される感じですが、そうなるのはすべて私のネガティブが原因です。
ここまで来ると霊的法則のみです。
ちょっとした、ほんの少しのネガティブでも、霊界側からみれば霊界振動と合わないということなんだと思います。


 ノ ア (紀元前 ?) 

メルキゼテクよりさらに強い「無」。
わからない、寄っていけない、それが精一杯。
とてつもない何か、そこから来る何かはわからない。

何もせず、何も思わず、集中も初めのさわりだけで充分。
遠くからでも、それを浴びているだけで充分過ぎる。

このような感じを受けていたのは、最初のリーディングだけです。
数回のリーディングで慣れてきたので、もっと深く入っていきたいと思い集中してみました。
その結果です。

集中しても、気が飛んで何をしているかわからなくなってしまう。
それに耐えて集中を続けようとすると、今度は意識がぐらぐらしてしまう。
その中にいることがとてもつらい。
だんだん、遠くに離されてしまう感じになっていくだけ。

やはり深い集中をしようとしても、マヒするのみ。
気を失っているときもありました。
これが、ノアの集中で感じたままの表現です。
精一杯、これ以上は表現出来るものは何もありません。

いったい、この霊的エネルギーは何なんだ、と今でも思っています。
私には、この意識をわかることはまだまだ無理です。


 レメク (紀元前 ?) 

振動、霊的エネルギーといった感じは一切無い。
しかし、無くてあるもの。
私の意識はどこでこの感じに気づいているのか。

圧倒的力
しかし、エネルギー的な感じはしない。

それに意識を向けると、わからなくなる。
超絶大
私自身の意識は、このわからない力によって、はっきり拒否されているのがわかります。

次元的ネガティブのせいだ。
レメク以前に、9大聖者の上位の意識を知ることは、まだまだ。
こんな程度ではだめ、出直し。

集中すると強引に私の意識を失わせてしまう圧倒的な力の前では、何も言葉が出ません。
この力を前にすると、思わず目をぎゅっと縮めてしまいます。
この力から自分を守るために、いつの間にか意識も体も強く緊張させています。

でもいつか、この中で私の意識を泳がせてみたい。
意識の超ビッグバーン。
これが、レメクの精一杯の表現です。