忠 臣 蔵 Ⅰ 

「忠臣蔵」といえば、日本人ならもう誰でも知っている話だと思います。
年末のテレビ番組となれば、今はテレビ局もいろいろな番組作りをしていますが、長い間「忠臣蔵」が年末恒例となっていた時もありました。
ストーリーは水戸黄門同様、時間的流れも十二分知っていると思うのですが・・・。
「主君の仇討ち」と「吉良邸討ち入り」が、見る側の正義や悪者退治的な気分に自分がなれるからでしょうか。
真相ははっきりしていないのに、吉良上野介は江戸時代から悪役から脱していません。
気分や感情で判断されたらと思うと、人間世界は恐いですね。
いい気持ちになって正月を迎える、今年一年の嫌な思いを捨て去り気分一心で次の年に入る。
ネガティブを持ち越すより、テレビ番組でネガティブを外せるならそれもいいのかもしれません。
年末というのも気分的に押せ押せムードになるのでしょうか。
「悪者は消えろ!」
吉良さんは、本当に超悪だったのでしょうか。

今回の波動振動測定は、この江戸城中で殿中刃傷事件を起こした浅野内匠頭とその被害者である吉良上野介、それにこの事件に関わらざるを得なくなった大石内蔵助の3人の意識測定です。
こう言いたいのですが、私も時間をかけて検索しましたが、どうしても十分な直筆の資料が見つかりませんでした。
どの時代にも言えますが、2〜30代から50代くらいまでの自筆のものや使用していたものがあればかなりの意識の変化も読めるのですが、そこまで揃っているというのもまずありません。
今回は、大石内蔵助の測定が中心になります。

浅野内匠頭も殿中で刃傷沙汰を起こせば、あとあとどうなるくらいは知っていたはずなのに・・。
そこは意識コントロールという意識レベルが問題になります。
浅野内匠頭は、自分の何かを守るにしても、結果的に失うもの、犠牲はその比ではありません。
そこは自分自身の問題か赤穂藩全体に及ぶ問題かという大きな判断が必要です。
意識レベルで見れば大体のことは読めますが、それは300年も前の江戸元禄時代ですから、で止めておきます。
また、浅野内匠頭の直筆のものは残っていませんでしたので、真相も推測出来ません。

吉良上野介の手紙は一点ありましたが、次のサイトにあります。
吉良上野介が娘に贈った手紙(リンク切れ)
また、大石内蔵助の直筆のものは4点探しましたので、それから推測して行こうと思います。

大石内蔵助のものと思われるものは次のサイトにあります。
まず、かなり信頼性のあるもので、大石内蔵助が討ち入りの8か月前に豊岡出身の妻りくの父に宛てて書いた書状というものです。
「歴史〜飛耳長目〜」(リンク切れ)
この書状の測定結果です。
「主君の仇討ち」の8か月前となると、大石内蔵助の精神状態は一体どういった感じになるのでしょうか。
これは、それぞれ想像するしかありませんが、仮に一つに絞るとどんな思いか、いろいろな人の意見を聴いてみたい気もします。
この書状から伝わってくる大石内蔵助の意識は強力で、それはすごい不満、それも大きな不満の塊といった感じです。
「すごい不満」と想像した人はどのくらいいるでしょうか。
その他のものも測定もしてみました。
歌舞伎素人講釈
「歌舞伎素人講釈」写真館〜「大石内蔵助という人物」をクリックすると見られます。
この他にも2点測定しましたが、すべてこのような感じで、意識の質も一致していました。

もし、直筆の一つでも、浅野内匠頭が刃傷沙汰を起こす前か後に書いたということが分かるだけでも、意識からの読みでかなり真相に近づけると思います。
今はそこまで調べられません。
大石内蔵助の中から不満となって出て来る意識波動を、もっと具体的に表現して見たいと思います。
あまりにも不満の波動が強いので、「主君の仇討ち」に燃えるような意識には感じられません。
私がこの感情の波動から受ける感じとしては、理由のポイントまでは分りませんが、「吉良憎し」なのか、「何で自分までこうならなければならないのか」なのか、主君に対しての思いとして、「どうしてここまで、やらなければならなかったのか」というようなものです。
とにかく煮え切らない思いがどこにもぶつけられないといった感情です。
最後は、その気持ちを「吉良邸討ち入り」で発散するしか道はないということです。

こういうものもあります。
大石内蔵助の遺書?(リンク切れ)
討ち入り前日ということですので、この手紙は遺書と取ってもいいでしょう。
前日ですから、これからが大仕事です。
その大仕事前の大石内蔵助の意識となります。
この手紙の測定結果です。
とても、静かに落ち着いている意識状態です。
いつもの不満に満ちた感情など微塵も感じられないくらいの本当に静かな意識です。
意識の集中点もはっきり分るほど集中力もあります。
このような意識ということから、これまでの内蔵助とは正反対ということになります。
ましてや、これが討ち入り前日の大石内蔵助の意識であるということ自体、大きな疑問符が付きます。
意識の流れから、人間は、特にいざというときは大きくは変わることはできません。
大石内蔵助の意識から考えると、火に油を注ぐように、さらにアドレナリンがじっとさせておかないでしょう。
冷静な平常心を保てる人物なら、普段からそういう意識でいるのが普通です。
ということで、この遺書?は、測定結果では大石内蔵助が書いたものではないとなります。

こうなると、浅野内匠頭の直筆を見たいですね。
測定出来ると、もっと深い部分が見えて来るのですが。

吉良上野介の意識については、もう一度載せますがこれしかありません。
吉良上野介が娘に贈った手紙(リンク切れ)
この手紙の測定結果です。
簡単に言いますと、大石内蔵助のネガティブ波動を仮に100とすると、吉良上野介は40くらいです。
40くらいといっても、内面的にはネガティブ性が強い性格となります。

こう考えると、お家断絶まで及んだこの騒動も、結局このトップ2人のネガティブ感情コントロールの意識力が最大の問題というとこに行き着きます。
どんなことがあろうと、影響力の大きさを考えると浅野内匠頭のやったことは・・・。
私は意識の強さがあれば、もっと別な方向に持って行けたのではと思っています。
この時代ですから、それでも限度はあると思いますが、だからといって・・・。
私は吉良上野介がどうのこうのより、浅野内匠頭の本質意識に注目したいですね。
みなさんはどう考えるでしょうか。

今後、浅野内匠頭の直筆の書状も発見されるかもしれません。
そのときは、またここで、続きの測定結果で分析したいと思います。