■ 利休〜何故、切腹に追い込まれたか
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「千利休 切腹 顚末記」
YouTube 「【衝撃】千利休が切腹した本当の理由」
千利休は、織田信長と豊臣秀吉の2人に茶頭として仕え、また「わび茶」を完成させ「茶聖」とまで呼ばれた人物です。
その利休が、突然秀吉から切腹を命じられ自害しました。
史料からは、切腹を命じられるような大きな失敗も出ていません。
その原因がハッキリしないので、様々な諸説としてその理由が語られています。
千利休のARRでは、若い頃はP5の意識でしたか晩年はN4になっていたという、この極端な意識の違いに何故と考えたくなり、また2面性のある人物ということも出ています。
「わびさび」といった独特な精神世界を表現する能力を持ちながらN4まで落とせる意識というのは、複雑な精神構造の持ち主というしかありません。
諸説などに出て来る切腹を命じられた理由を、魂に訊いてみたいと思います。
利休と秀吉(Ⅰ)(2019/11/30)
大徳寺三門の改修にあたり、2階に設置した利休自身の木像の下を秀吉に通らせたため、秀吉の怒りをかったのですか。
違う。
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利休が茶器をあまりにも高価な値で売っていることが、秀吉の怒りにつながったのですか。
そんな小さなことではない。
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茶道に関して、秀吉の考えと対立し自分の思いを通したため、秀吉の怒りをかったのですか。
それはそれといった感じ。
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では、利休の娘を秀吉に差し出すことを利休が断ったため、秀吉の怒りをかったのですか。
それは全く無い。
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利休が人脈関係で大きな力をつけて来ていることを、秀吉は利休にどの程度危惧を抱いていましたか。(最高を100とすると)
30くらい。
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利休の方も、秀吉に対しては気持ち的にだんだん強気になっていましたか。
そのような思いは出て来ている。
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利休の気持の中に、いずれは陰で天下を操れるようになろうという野心はどの程度ありましたか。
(最高を100とすると)
80くらい。
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利休は秀吉に対しても、心の中ではそれほど遠慮することはないと思っていましたか。
そのような思いは強くはないがある。それは自負心からだ。
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では、秀吉は利休のそのような思いをどの程度感じとっていましたか。(最高を100とすると)
70くらい
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秀吉は、利休が裏でいずれ秀吉に対抗するための実力を付けていると思っていましたか。
それについては、それほど考えていない。
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利休は、何においても自分の思い通り、支配下におきたいという支配欲を根っから持っていたのですか。
この思いは、相当強く持っている。
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利休は、その支配欲をじっと内に秘めておくということを出来ない性格だったのですか。
それは絶対出来ない性格だ。
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秀吉は、利休の意識に2面性があることをどの程度見抜いていましたか。(最高を100として)
70くらい。
利休と秀吉(Ⅱ)(2020/1/10)
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利休は自分の実力を過信し、秀吉に対して自分の思いを出し過ぎてしまったのですか。
そうだ。
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秀吉の利休に対する怒りは、利休のネガティブ的2面性に対してですか。
それではない。
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では、秀吉の利休に対する怒りは、秀吉の政策(朝鮮出兵)に口を出した(反対意見)からですか。
これで秀吉の逆鱗に触れた。
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利休は、外的なことはコントロール出来ても、内的自己コントロールはできない、またはその考えも出て来ない意識でしたか。
それが利休の欠点だ。
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利休の最大の欠点は、思い上がりの強い性格、またそれに気づけない性格だったということですか。
その通り。
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秀吉は、利休はいずれ自分の敵になる可能性があると読み切腹を命じたのですか。
それは全くない。
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秀吉が利休に切腹を命じ自害した後、秀吉は切腹を命令したことをどの程度後悔していましたか。
後悔などは全く無い。
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利休が自害する時、秀吉に対する思いはどんな感じでしたか。
頭に体全部の血が上っている感じで、思いは生き霊の波動そのもので強力な恨みの集中。
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利休の首は、京都の一条戻橋でさらし首、あげくに首を「利休の木像」に踏ませる形で晒したというのは本当ですか。
本当だ。(利休は、そのくらい秀吉の怒りをかった)
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異父弟の豊臣秀長は、利休が毒殺したという説がありますか、それは本当ですか。
それは全く無い。
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利休は、秀吉を毒殺しようと考えていましたか。
それは全く無い。
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利休は、徳川家康と裏でつながって(重要な情報を流すなど)いましたか。
それも全く無い。