あ行男性A

  芥川 龍之介

芥川龍之介のARR (2015/5/14)
小説家。
生没年: : 1892年-1927年
ARRの年齢は、15歳、25歳、そして亡くなる1年前の34歳です。

15歳の意識
顕在意識は、精神的に何かあったのか、とてもつらいといった波動を感じます。
しかし、頭はすっきりしています。
潜在意識はP4.5。
自分の可能性を広げようとする意識を感じるので、潜在意識は明るい。

25歳の意識
精神的か肉体的か、何がつらいのか。この年齢の頃は頭の働きも体のつらい影響を受けている感じです。
潜在意識は、明るい意識にかなり影が差し込んでいる感じの波動になっています。
気持ちがとても重く感じます。

34歳の意識
意識的には、目を閉じてつらさをじっと耐えているといった感じです。
当然、気持ちはずっしりと重くなっています。
潜在意識は、子供の頃にあった本来の明るさが完全に消えています。
「もう無理」といった感じの波動が伝わってきます。
違うところに意識が向いています。
「死」を意識していたかもしれません。

ウィキペディア

  明智 光秀

明智光秀のARR (2018/6/13)
戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名。
生没年 : 1528年-1582年

ARRの年齢は、20歳、35歳、50歳です。

20歳の意識
N2。
非常に不満感が強く、物事をストレートに見ない考えないといった波動を感じます。
明智光秀の心の中は、普通とは違う何かねじれたような波動があります。
不満でいっぱいの思いとそれによる苛立ちを感じます。

35歳の意識
N3。
思考集中の波動は、ネガティブ性だけを感じます。
それ以外の波動はなく、本当にネガティブなことばかりを考えているといった感じです。
明智光秀の心の中は、苛立ちの波動がピークに達している感じですので、それを押さえるだけでも相当ストレスが強くなっていたはずです。

50歳の意識
N4。
若い頃から、どんどん意識は変化してとうとうここまで来ています。
どんな理由を付けても通用しないレベルまで落ちてしまいました。
いつもこのような波動が出ていれば、読みの鋭い織田信長は明智光秀の意識をすべて読んでいたのではないかと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【前回の波動測定】
明智光秀の直筆が一つしかなかったので、この判物が明智光秀が書いたものとして測定してみました。
じっと書の波動に意識を合わせていると、かなり息苦しいストレスを感じる。
それは本当に強いストレスの感じます。
その波動を感じていると、私の胸の中まで痛くなるだけでなく気持ちまで変に高ぶってきます。
その高ぶってくる気持ちの奥にある思いは、憤懣やる方ないといった感じのもので、胸の中はその憤りでどうにも出来ないくらい圧迫感に押し潰されています。
その感じは頭の中まで上って来ています。
血が上るというのではなく張り裂けそうな痛みまであります。
こんな状態でいつまで耐えられるのか、という精神状態です。

この判物は本当に光秀が書いたものなのか、もしそうであれば明智光秀はこのような性格の人物であったということになります。
明智光秀の意識測定から、明智光秀の信長に対する謀反は、個人的かまた信長に敵意を持った実力者が明智の気持ちを利用したか。
どちらにしても信長に対する復讐心が原因だと考えられます。
あくまで私の意識測定からの推測です。

「本能寺の変」の真実は?
また、明智光秀は天海僧正なのか?
天海僧正の直筆のものがあれば、波動が一致するかどうかで真相がわかるのですが。

ウィキペディア     グーグル検索:明智光秀判物

  浅井 忠

浅井忠のARR (2019/4/24)
明治期の洋画家。
生没年 : 1856年-1907年

ARRは、20歳、40歳、50歳でおこないました。

20歳の意識  
P5.5。
一切他を見ず、自分の世界だけに集中している意識を感じます。

40歳の意識  
P6。
顕在意識と潜在意識を分けて使っているような意識です。
顕在意識は少し明るい穏やかな感じですが、潜在意識は「無」になっています。

50歳の意識  
P6.5。
意識は「無」で、その他には何も出てこない静かな状態になっています。

ウィキペディア

  浅野内匠頭

明かされる真実?!忠 臣 蔵 Ⅱ

  足利尊氏

足利尊氏のARR (2015/6/16)
足利尊氏は鎌倉時代後期から南北朝時代の武将。
生没年 : 1305年-1358年

ARRの年齢は、15歳、40歳、そして亡くなる1年前の52歳です。

15歳の意識
芯が強い、度胸のある波動を感じます。
潜在意識は、この年齢ではけっこう余裕を感じる意識です。

40歳の意識
芯(意志)が強く感じるのは、15歳の頃の意識と同じですが、この年齢になるとさらに張り詰めたような意識まで加わっています。
アジナ集中の強さから、相当頭が切れたと思います。
顕在意識はこのような意識ですが、潜在意識になるとがらっと変わります。
潜在意識はとても「平静」です。
この平静な意識が固定していますので、この意識から全体を把握し判断していたと考えられます。

52歳の意識
この年齢の意識は、平静と穏やかな意識だけになっています。
何かいい瞑想をしているような意識状態です。

潜在意識は、内的自分を確信しているような意識に感じます。
何かをゆっくり感じとっているようで、非常にリラックスした意識が喜びの中に浸っているように感じます。

ウィキペディア

  安倍 晴明

安倍 晴明のARR (2017/7/22)
平安時代の陰陽師。
生没年 : 921年-1005年

ARRの年齢は、20歳、40歳、70歳です。

20歳の意識  
P5.5。
持って生まれた能力なのか、霊視ポイント全体に強い集中を感じます。
現代においても、霊視ポイントにここまで強い集中力のある人は、ほとんどいないといったレベルになります。
安倍晴明の意識に集中していると、私の額の中全体に周りの人の心や見えない何かが自然に映し出されてくる感じがしてきます。
それにしても、何のパワーも感じることもなく私の額の中に自然に映ってくるような感じは、それなりの集中能力があるからに違いありません。

また、安倍晴明の潜在意識集中はアジナにありますが、アジナに集中しているという感じはなく、アジナに安倍晴明がいるといった感じです。
この若さでこの集中をどうやって身に付けたのか、本当に驚きです。

40歳の意識  
P6.5。
この年齢になると、集中力レベルはさらに大きく上がっています。
若い頃の集中が額全体だったのが、さらに額から胸の中にまで広がっています。
自分の意識と体がセンサー化されている感じで、別な集中体になっている感じです。
このような意識集中を持っている人は、人物の波動測定を長い間してきましたが初めて出会いました。
この集中を感じていると、自分の思いで何かを操作できるような錯覚を感じますので、この感じも不思議です。
何か、そのような秘密の波動があるのかもしれません。
何となく想念操作の意識的誘導の流れを感じますが、これを行うには相当な意識的訓練が必要だと思います。
安倍晴明の内的意識が、集中力そのものといった感じです。

70歳の意識   
安倍晴明、晩年の意識です。
P7.5。
このレベルを見ると、安倍晴明自身が高めてきた能力は、黒魔術ではなく霊的なものだということがはっきり分かります。
ただ、この年齢では、強い集中があった霊視やセンサー的な集中は一切無くなっています。
この年齢での安倍晴明の意識は、静かな無といった安定した意識状態にあって、心底から満足している感じが伝わってきます。

※ ARRから、安倍晴明はテレビや映画、または漫画などで表現されているような人ではなく、実際は霊的な方向で自分自身の能力と意識を高めるための人生だったと思います。


ウィキペディア

  天草 四郎

天草四郎の本名は益田四郎、一般には天草四郎時貞という名で知られています。
天草四郎のことを知ると、ちょっと驚きますね。
島原の乱で戦いを指揮した当時の年齢が16歳と伝わっています。
それには驚きますけど、本当に幕府との戦いで指揮したのでしょうか。
ARRでは、その辺の細かいことまでは出て来ませんが、天草四郎の根本意識がはっきりわかれば、少しは真実が見えてくるかもしれません。

天草四郎のARRです。
彼の意識は、顕在そして潜在意識ともに同じす。
それも一種類の質ですので、本当にわかりやすい意識です。
天草四郎の意識は、一種類の質ですので一言でいえます。
一言、「きれい」そのものです。
ただきれいといっても、きれいな色の場合もあればきらきらしているといったイメージも湧いてきますし、その他にもきれいと感じるものはいくらでもあります。
私が感じる彼のきれいな意識というのは、「純白」そのものといった感じのするものです。
「純白」が拡大浸透していく、といった感じは、余計な表現を付け加える必要もありません。

「純白」が拡大浸透している感じに集中していると、彼を支えている意識である霊性や霊的パワーといったものまで感じてきます。
霊的パワーといっても、意識で感じるものです。
「神童」という言葉がありますが、その当時このような意識の少年が現れたら「神童」と騒がれても、けっして不思議でもありません。
霊性、霊的智恵があれば、物事を大きく把握することも出来ますので、戦いを指揮したというのは真実なのかもしれません。

ウィキペディア

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

天草 四郎のARR (2015/8/1)

天草 四郎は島原の乱における一揆軍の最高指導者。 
生没年 : 1621年/1623年?-1638年

以前のARRでは、まだ高い振動レベルを数字で表現できませんでしたが、それが可能となった今、改めて天草四郎のARRをしてみました。

ウィキペディア引用
‘1637年に勃発した島原の乱ではカリスマ的な人気を背景に一揆軍の総大将となる。
戦場では十字架を掲げて軍を率いたとも伝わるが、四郎本人はまだ10代半ばの少年であり、実際に乱を計画・指揮していたのは浪人や庄屋たちで、四郎は一揆軍の戦意高揚のために浪人や庄屋たちに利用されていたに過ぎないと見られる。’

島原の乱では天草四郎はまだ10代半ばの少年ですから、一揆軍の最高指導者と考えるには無理があり、少し疑いたくなるかもしれません。
そうなると、ここにも書いてあるように、「利用されていたに過ぎない」という考えも出て来ても仕方ありません。

では、本当のところはどうなのか、やはりそれを知るには天草四郎の意識が果たしてカリスマ性があったかどうか、その根本意識がはっきりわかればと思い、今回は、島原の乱の年(1737年)とその前の年(1736年)の天草四郎の意識をARRしました。

1736年の天草四郎意識は、P7で、翌年の1737年の意識は、この短い期間で、さらに意識レベルは上がっています。
10代半ばの少年がこの意識レベルですから、おそらく天草四郎は聖者の化身と考えてもおかしくないと思います。

  新井 白石

新井白石の自筆の書に集中しているとアジナを中心としたあたりが少し重く痛くなる感じがして来ます。
これはネガティブというのではなく、集中力がかなり強い人に共通した振動です。
アインシュタインに近い白石の集中力を感じると、やはりかなりの意識レベルの人だったということが分ります。
集中力の強い人は当然頭が良い人とも言えますが、すべては学校の勉強に特定したものだけではありません。
白石の集中は、集中自体に集中するといったその行為に触れて感じるものは見逃さないといった感じの振動です。
例えて言うと、一般の人の集中可能な範囲を半径5メートル内とすると、白石は半径10〜15メートル内にあるものはすべて把握出来るということです。
これは集中の中でさらに内的集中の意識が伸びている、またはその範囲内にあるものを自分の意識に自動的に集中させることが出来るということです。
これも集中の一つです。
これが子供のうちに出来る、若いころから出来るというのは前世からの意識の引継ぎだからです。
どんな人もすごいレベルで何かを出来るようになるには努力が必要ということです。
前世的な関わりがあるなら、今している努力は来世にもつながるということです。
何もしないで文句を言っても、それは自分に返ってくるだけです。
自分のために、「やって損した」ということはないのです。

ウィキペディア     国立国会図書館

  池 大雅 

池大雅のARR (2019/3/20)
江戸時代の文人画家、書家。
生没年 : 1723年-1776年

ARRは、20歳、40歳、50歳でおこないました。

20歳の意識  
P6。
サハスラーラ集中。
振動の質から、IQは相当高いレベルです。
20歳ですが、意識拡大の中にいます。

40歳の意識  
P6.5。
自分の内的な世界の中で、何かに意識を向けて一心に集中しています。
とても霊的な感じが伝わってきます。

50歳の意識  
P7.5。
あるがまま意識。
完全「無」の意識状態で、他には何もありません。

ウィキペディア

  石川 五右衛門 

石川五右衛門のARR (2018/8/18)
安土桃山時代の盗賊の首長。
生没年 : ?-1594年

生年不明のため、ARRは1580年、1593年でおこないました。

1580年の意識
N3。

1593年の意識
N4。
石川五右衛門は1594年に処刑されましたが、もし長生きしていたならN5を超えN6近くなっていたかもしれません。
何故なら、この時点で1580年には無かった別なネガティブ感情が加わり、ネガティブ意識の勢いはさらに強くなっているからです。
石川五右衛門は盗賊ですが義賊として見られていることもあります。
しかし、この意識から判断すると義賊などあり得ないことです。

ウィキペディア

  石川 啄木 

石川啄木のARR (2018/10/31)
日本の歌人、詩人。
生没年 : 1886年-1912年

ARRは、20歳、25歳で行おこないました。

20歳の意識  
P1。
いろいろ考えている波動がありますが、その考えも何か雑といった感じが目立ちます。
潜在意識は、何か困っているといった波動があり気持ちも重く感じます。

25歳の意識 
PN度も出ないくらい切羽詰まった、全く先が見えない意識状態にあります。

ウィキペディア

  石田 三成

石田三成のARR (2018/7/18)
安土桃山時代の武将・大名。
生没年 : 1560年-1600年

ARRの年齢は、20歳、35歳です。

20歳の意識
P1。
絶えず考えているといった波動を感じます。
しかし、その考えは非常に狭い範囲に感じます。
そして、この自分の狭い世界に頑なにこだわっている感じです。
そのこだわりの考えも、波動的には良いレベルのことには感じません。

35歳の意識
N2。
頭の中はどんよりと曇っている感じで、思考にも全く冴えがありません。
こんな意識では、けっしてプラスになるようなことは浮かんできませんので、
非常に行き詰まった波動を感じます。

ウィキペディア

  一休 宗純

テレビアニメや漫画の「一休さん」は、この一休宗純をモデルであることはもう知っていると思います。
一休宗純の測定ですが、「一休宗純の書」ともう一つ「一休禅師木像」を測定してみました。
重要文化財に指定されいるこの木像はとても珍しいもので、一休さんが亡くなる前の年に弟子の墨済に命じてつくらせたものですが、何が珍しいかと言うと、 この木像には一休が自分の頭髪とヒゲを抜いて植え付けた跡が残っているということです。
この木像に一休宗純の振動と同じものが入っていればその話も信じることが出来ますが、結果は?
一休宗純の測定結果です。
書からは、一休宗純の集中はサハスラーラにあり、その振動はとても軽くさわやかで心地感じがします。
では、木像の振動はどうでしょうか。
木像の振動のなると軽くさわやかという感じは消え、何か強い思いの振動を感じます。
サハスラーラ振動はさらに強い振動になっています。
振動の感じからこの二つには共通している意識がありますので、この木像に関する話も間違いないと思います。
一休宗純は、この木像にたくさんの人が気持ち的に意識を合わせて欲しい、自分の意識を感じて欲しい、同調して
欲しいという思いで、自分の頭髪とヒゲを抜いて植え付けたのかもしれません。
この意識レベルになると、物的な自己欲求は考えられません。
霊的な意識を求めている人やそのような意識レベルにある人は、サハスラーラの振動が叙々に強くなって行きます。
今、精神世界もかなり広まって来ていますが、それを教えている人の振動がサハスラーラにあるかどうかも重要なことです。
中には、とんでもないレベルの人もいますが、それは全部この波動振動測定ではっきり出ます。
この世界は自己責任になりますので、よく識別判別する、また注意も必要です。

ウィキペディア     秋華洞     酬恩庵一休寺

  今川 義元

今川義元のARR (2018/7/14)
戦国時代の駿河国及び遠江国の守護大名・戦国大名。
生没年 : 1519年-1560年

ARRの年齢は、20歳、40歳です。

20歳の意識 
P3。
強い意志の持ち主ですが、とても考え悩むタイプです。
どんなことでも自分が納得できるまで、いつまでも考え悩むのでいつも迷っていたと思います。

40歳の意識 
P1。
この年齢では、悩んでいる波動しか出てきません。
若い頃から、ずっと考え悩んでいた意識ですが、この自分の弱点を周りには悟られないように振る舞っていたかもしれません。
程度の差はあっても、このようなことは誰にもあることです。


ウィキペディア

  上杉 謙信

ウィキペディアに載っている書状に意識を合わせていると、ちょっと首を傾げたくなる波動を感じます。
武将?何でこんなに消極的で内にこもるような意識なのか。
性格的にも線が細い感じで感情はまるで女性的。
胸の中には不満やいらだたしさ、これも女性的な感情の波動。
ちょっと驚き、意識波動から見ても戦国武将としては似合わない柔らかい感じが内にあります。
周りに余程すばらしいブレーンがいなければ武将にはなれない意識と感じたのですが。

これは神社のコーナーにも載せますが、上杉神社の振動にも触れておきます。
この神社の振動はアナハタに集中で、その振動は女性的で癒し系です。
やさしい、やわらかい本当に気持ちのいい振動の神社です。
上杉謙信を祀っていますので、波動振動も一致しています。

ィキペディア

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

上杉 謙信のARR (2015/7/28)

上杉 謙信は越後国の武将・戦国大名。 
生没年 : 1530年-1578年
ARRの年齢は、15歳、40歳、そして亡くなる1年前の47歳です。

15歳の意識
P3.5。
とてもおしとやかで、やさしい意識です。
どこからみても男性的な感じは少しも無く、逆に線が細いといった意識に感じます。

潜在意識はP4で、特に強く感じるのは寛容といった意識で、やさしさと思いやりのある波動以外、他の波動はありません。

40歳の意識
この年になっても15歳の時の意識と変わらず、線は細く、おしとやかで、やさしいゆったりとした意識です。
武将のはずですが、その感じはまったく無く、意識全体をまとめると、やわらかい雰囲気で本当にやさしい女性といった感じです、潜在意識は、少し心配の波動を感じますが、それも待つ見守るといった感じの波動です。
この波動も、感じは女性的です。

47歳の意識
顕在、潜在意識ともに同じ感じです。
P4.5。
やはり、おしとやかで、やさしい意識状態です。
穏やかな意識のままでいます。

※ これが戦国武将の意識、天下をとってもおかしくない武将とは、どう考えても不思議に感じます。
ここまで意識にギャップがあると、私のARRが間違っているのか、それとも上杉謙信は女性だった、という説が本当なのか、これでは歴史ミステリーになってしまいます。

では、この年齢でARRすると、どういった意識が出て来るでしょうか。
これで、はっきりするような気がします。
川中島の戦いは、12年余りに及んでいますが、主な戦闘は計5回ありました。
その川中島の戦いの中で、最大の激戦だったのが第4次合戦です。

この第4次合戦が始まったのは1561年ですので、この年の上杉謙信の意識が分かれば大体の人物像は推測できると思います。
こんな時に、のんびりしている意識などはあり得ないはずですが。

1561年の上杉謙信のARRです。
少し緊張した意識を感じます。
しかし、武将として戦場で敵と戦うといった意識は感じません。
少し心配気味のゆったりとしたやさしい意識でいます。
心配の気持ちは、静かに祈っているような波動が伝わってきます。

このときの潜在意識も、やはりやさしい思いが強く出ています。
このやさしさは、本人の根本意識そのものです。
やはり、この意識は、とても戦場で敵と戦うといった意識ではありません。

  歌川 広重

歌川広重のARR (2019/4/6)
江戸時代の浮世絵師。
生没年 : 1797年-1858年

ARRは、20歳、40歳、60歳でおこないました。

20歳の意識  
P5.5。
アナハタ集中。
思考より、内的思いを中心に動く人です。
心も、とても静かです。

40歳の意識 
P6.5。
アジナ(思考)まで浸透していくような勢いを感じるアナハタ集中になっています。
アナハタ集中ですが、他のチャクラを拡大するにも、歌川広重のアナハタ集中はとても参考になるくらいすばらしいものです。

60歳の意識  
P7.5。
あるがまま意識。
この年齢では、アナハタ集中は完全に消え「無」になっています。


※今回のARRと以前行った絵からの測定結果はまるで違う結果になりました。
あまりにも違いますので、もう一度絵の測定をしてみましたが、結果は同じでした。
ちょっとおかしいのでよく考えて見ましたが、何か絵に余計な波動が入っているとしか考えられません。
もう一度分析して、後で結果を載せたいと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【前回の波動測定】

歌川広重の絵はとても色がきれいなので、測定するまでは性格的にも明るい人だと思っていました。
歌川広重の測定結果です。
全体的に落ちついた冷静な人と言えばいい印象になりますが・・。
最初の絵に集中していると何かがおかしいと感じました。何がおかしく感じたかというと、気持ちが重くなるのです。
もしかして自分の振動が整っていないからかもしれないと思い、少し落ち着かせてから数枚の絵に意識を合わせてみました。
やはりこの気持ちの落ち込み波動は同じです。
広重は長い間何かのことで心から悩んでいたと思います。
それは、何か解決出来ない自分自身のことで囚われていたのかもしれません。
絵を見た瞬間、私の気持ちも何かを思いつめたくなるような意識に変わって来ます。
広重は絵の才能だけでたくさんのすばらしい作品を残せたと思います。
しかし、私は広重の絵をじっくり見ていると、どこか力がない、何かさびしさや気落ちの波動を感じてしまいます。
これはあくまで、絵から受ける歌川広重の意識波動だけに限定したことになります。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【2つの測定結果の違いについて】

これまで、歌川広重については2つの波動測定をしています。
ARRとウィキペディアに掲載されている浮世絵による測定です。
この2つの測定結果があまりにも違いますので、その原因を突き止めようといろいろ調べてみました。

この2つのどちらに問題があるのか、怪しいのは画像にあると考え、まずウィキペディアに掲載されている浮世絵を測定しました。
結果は、以前測定した内容と同じでした。
次に、信頼出来る美術館の歌川広重の浮世絵を測定してみましたが、それは下記のサイトに掲載されています。
太田記念美術館    静岡市東海道広重美術館
この2つのサイトに掲載されている浮世絵の波動は、ARRで載せた測定内容と同じものでした。

ここで、もう一つ測定しなければならないものがあります。
それは、歌川広重のウィキペディアのページです。
測定した結果、少しビックリしました。
ここに掲載されている絵より、波動が悪いのです。
このページに掲載されている浮世絵は、このページのネガティブ波動の影響を受けていたのです。
これで、原因がハッキリしました。

このウィキペディアのページの波動の質はここでは言えません。
ここまで波動の影響があるのですから、物からの波動測定は今後注意しなければならないと考えています。


ウィキペディア

  植村直己

ウィキペディア    

  運慶

運慶のARR (2017/9/2)
平安時代末期、鎌倉時代初期に活動した仏師。
生没年 : ?年-1224年

年齢は生年不明ですが、運慶の現存最古作は1176年に完成したと言われていますので、ARRは1176年と1200年でおこないました。

1176年の意識
集中しても何にも無い感じだけが伝わってきます。
存在しているはずですが、いったい何だろうといった感じです。

1200年の意識
1176年の意識は、何か分かりにくかったと思います。
私自身も不思議な感じでしたが、そのまま表現しました。
1200年の意識も同じような感じで、これまでの波動測定で一度も経験したことのない感じに戸惑ってしまいました。
この感じは、運慶が存在していないという波動でもなく、また私が間違った集中をしているときに出る波動でもないのです。

不思議な感じでしたのであきらめずに集中し、感じたことです。
ARR集中を繰り返しているうちに、ようやく3度目にこの感じが運慶の意識だということがはっきりしました。
運慶の意識は、普通では信じられない意識で、表現するとこのような感じになります。

うっすらと芯は感じるがその他は何も無い、うっすらと円の中心は感じるがそれ以外の周りは一切感じない、本当に何も無いといった意識です。
どうしたらこのような何も無い意識になれるのかが不思議です。
相当な意識レベルでないと、ここまでの意識にはなれません。
それだけではありません。
この不思議な意識は、どう判断してもポジティブ度が表現できないのです。

試しに、このような意識に焦点を当て何も無い、分からない人物として測定しようと集中すると、大混乱の波動が出てきます。
ですので、この感じは間違いなく運慶の意識となります。
これでも、どうしても納得がいかないので、運慶の作品である仏像を測定してみました。
運慶作の仏像を数点測定した結果、やはり今説明したような意識波動を感じました。
各地に運慶作となっている仏像が多くあるようですが、それが本当に運慶のものかどうかは測定すると簡単に見極めができそうです。
そのくらい、運慶の意識はどこにもない特徴があります。

以前、このサイトの「国宝・文化財―仏像」で、運慶の作品を測定しました。
大日如来像 〜 円成寺(奈良)
このときは、仏像の画像に集中して測定結果を載せていますが、芯として感じたのはサハスラーラになっていますが、その当時はまだたくさんの振動データもなかったときでした。
本当に、「運慶は何者!」と言いたくなるくらい不思議ですばらしい意識の持ち主に感じます。


ウィキペディア

  円空 

円空のARR (2019/3/6)
江戸時代前期の修験僧(廻国僧)・仏師・歌人。
生没年 : 1632年-1695年

ARRは、20歳、40歳、60歳でおこないました。

20歳の意識  
P5.5。
とても穏やかでやさしい、心の温かな意識を感じます。
自分の目指す方向を真剣に見つめている思いが伝わってきます。

40歳の意識  
P6.5。
アナハタ集中が強くなっています。
一心に求めているといった集中を感じます。

60歳の意識  
P7.5。
あるがまま意識。

ウィキペディア

  役 小角

役 小角のARR (2017/7/19)

飛鳥時代から奈良時代の呪術者。
生没年 : 634年?-701年?
ARRは、生没年が不明のため680年でおこないました。

680年の意識
一応680年でARRしましたが、役小角の意識は集中すればいつでも出てくるレベルです。

大聖者レベル(P8.5~9.5)の意識で、私もこの意識の質は初めて触れました。
潜在意識は完全意識レベルで霊的ですが、顕在意識はその霊的感じは薄れて誰もが感じるレベルの愛とやさしさの振動意識を表現しています。
マリアの愛とシャカの意識の一番良いレベルの振動を一つにしたような意識です。
癒し系です。

私が役小角にARR集中して最初に見えてきたのが、柔らかい光でした。
測定をして、こんなことは初めてでしたので、意識がズレたのかと思いもう一度やり直したくらいです。
次の集中も同じ光りが見えてだんだん拡大してきましたので、そこで本物だと確信しました。

誰も信じないでしょうね、修験道の開祖が超癒し系の意識だとは。
しかし、到達した意識というのは、悟り系と癒し系の両方が揃って大調和化しなければなりませんので、当然といえば当然です。


ウィキペディア

  大石内蔵助

明かされる真実?!忠 臣 蔵 Ⅱ

  岡倉 天心

岡倉天心のARR (2019/4/27)
日本の思想家、文人。
生没年 : 1863年-1913年

ARRは、20歳、40歳、49歳でおこないました。

20歳の意識  
P4。
アジナ集中が強く、本当によく考えているといった波動を感じます。

40歳の意識  
P4。
強く思考集中は変わりませんが、この年齢では何か壁に当たっている波動を
感じます。
思考がスムーズに運ばない、何か抵抗を感じます。

49歳の意識  
P2。
病気のせいか、頭の働きも少し重い波動に変わっています。

ウィキペディア

  岡本 太郎

岡本太郎のARR (2019/6/22)
日本の芸術家。
生没年 : 1911年-1996年

ARRは、20歳、40歳、70歳でおこないました。

20歳の意識
P5.5。
アナハタ集中。
アナハタの感じだけがあり、その他の波動は一切ありません。

40歳の意識
P6。
この年齢でもアナハタ集中で、シンプルにその感じだけがあってその他の波動は何も出ていません。

70歳の意識
P6.5。
この年齢では、アナハタ集中も消え、意識の中は何もない「無」といった感じしかありません。
一生、想念波動が出て来ないという人は、本当に数少ないと思います。

ウィキペディア

  尾形 光琳 

尾形光琳のARR (2019/3/9)
江戸時代の画家・工芸家。
生没年 : 1658年-1716年

ARRは、20歳、40歳、55歳でおこないました。

20歳の意識  
P6.5。
意識の中心は潜在意識にあり、すべてそこを中心に動いているような意識に感じます。

40歳の意識  
P7.5。
あるがまま意識。

55歳の意識  
P8。
ニルバーナ意識。

ウィキペディア

  荻原 碌山

荻原碌山のARR (2019/5/22)
明治期の彫刻家。
生没年 : 1879年-1910年

ARRは、20歳、30歳でおこないました。

20歳の意識  
P5.5。
アナハタ集中。
内的意識集中でいろいろ判断していくタイプで、その他の波動はありません。

30歳の意識  
病気のせいか、心身共に辛い苦しいといった波動しか出ていません。

ウィキペディア

  尾崎 紅葉 

尾崎 紅葉のARR (2018/10/3)
日本の小説家。
生没年 : 1868年-1903年

ARRは、20歳、34歳でおこないました。

20歳の意識  
P3。
何かに対してこだわりがあるのか、そのような波動を感じます。
それ以外に目立った波動もないので、意識の感じは普通といった印象です。

34歳の意識  
何か問題か悩みを抱えているのか、かなり切羽詰まった意識を感じます。
気持ちは、相当辛い状態になっています。
この波動に隠れて、本来のPN度が出てきません。

ウィキペディア

  織田 信長

織田信長のARR (2018/6/9)
戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・戦国大名。
生没年 : 1534年-1582年

ARRの年齢は、20歳、35歳、45歳です。

20歳の意識
P5。
挑戦心に満ちあふれている意識です。
意識は非常に純粋で、集中の質から判断するとIQはかなり高かったと思います。
広く深く見ていくといった意識を持っていますので、すでに拡大意識という集中が備わっていたと思います。

35歳の意識
P6。
この年齢になると、集中力はさらに強くなっていますので、やはりIQは相当高いということがはっきり分かります。
思考を通さない、意識で判断する動くといったことがすでに出来ているといった感じが伝わってきます。
織田信長は、一般的にはどのような人物と思われているでしょうか。
感情的で残忍と思っている人もいるでしょう。
しかし、意識波動を感じる限り、その印象とはかなりかけ離れています。
意識自体は、冷静で静かそのものです。
まるで、瞑想状態といってもいいくらいの意識です。
相当全体を読んでいたと思いますので、あとは自らも含め全体統一の誘導を展開していたのかもしれません。
織田信長の人を読む力は相当なレベルで、回りにいる人の意識はほとんど読まれていたと思います。

45歳の意識
P6.5。
この年齢の意識は、まるで瞑想をしている感じで冷静で心の中は何も無いといった感じです。
一つだけ変化を感じるのは、少し穏やかといった波動が出ています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【前回の波動測定】
書の波動から、かなり自我の強い人という感じを受けました。
自分の目的意識に向かってそれを実現させるために、何が何でも押し通していくという性格です。
行動力があるというより、内から湧いてくる自然に突き動かされる感じ、血が騒ぐと行ったものでじっとしていられないタイプです。
それは言葉や態度にも自然に出て来るもので、自分でも抑えが利きませんので周りの人は大変だったでしょう。
信長の目指す方向は、自分の内から来るどうすることも出来ない衝動によるもので、おそらく前世もそのような意識で天下を狙っていた人物だったはずです。
意識波動からもそんな感じが出ています。

鳴かないホトトギスを例に取り、三人の天下人ならどうするかの性格を後世の人が言い表したものがあります。

信長は、「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」。本当にこのとおりです。
信長の意識をよく言い表しています。
あと信長で気になるのは、明智光秀ですね。

ウィキペディア     文化庁:文化遺産オンライン

  忍壁皇子

忍壁皇子のARR (2017/7/5)
飛鳥時代の皇族。忍坂部皇子、刑部親王とも記される。天武天皇の皇子。
生没年: ?-705年

ARRは生年不明のため、685年、695年でおこないました。

685年の意識
P6。
振動の質から、非常にIQが高い
穏やかな意識で、意識は拡大しています。
非常に余裕を感じる心地良さを感じる意識です。
潜在意識も、この先も拡大し続けていく勢いを感じます。

695年の意識
P7。
内的意識に力を感じます。


※ 忍壁皇子を高松塚古墳の被葬者とする説がありますが、高松塚古墳全体の波動測定をして忍壁皇子の意識振動と比較した結果を載せたいと考えています。


追記

高松塚古墳 (被葬者は誰か?)  明かされる真実?!  (2017年8月2日)


ウィキペディア

  沖田 総司

沖田総司は、「幕末維新の志士達」で波動測定をしようといろいろ測定出来る資料を探してみましたが、写真だけでなく本人のものと断定出来るものは見つからなかったので、とうとう測定できないままでした。
今は、ARRで可能ですので、早速そのARRの結果から分かったことを説明していきたいと思います。

沖田総司は、小説やドラマなどではかなり美化された人物として人気がありますが、ARRでは、がっかりさせますが、そのような感じは少しもありません。
目立った意識の集中点というものはありませんので、特に思想的にこだわっていた人間とも思えません。
ARRでも、意識というか性格もなかなか出て来ませんでした。
表面的にはポーカーフェース的な人間で心を隠しているといった感じです。

それでようやくつかんだ顕在意識は、ただ「負けん気」が強いといった意識だけです。
次に、沖田総司の潜在意識に焦点を合わせてみました。
これはすぐ出て来ました。
この意識が潜在意識ということは、そういう自分を知っていて抑えていたのかもしれません。
それは、顕在意識と同じく「負けん気」が強いという意識の他に、ぴったり表現するのは難しいのですが、私の中で感じるのは「暴力的」といった感じが一番近いと思います。
この内容から考えると、実際はそれほど魅力的な人物ではなかったとなります。

そこで、今これが沖田総司ではないかと言われているいくつかの写真から、今度は逆にARRの意識波動から、写真の波動測定で一番沖田総司に近い波動の人物を探してみました。
いました。
意識の質まで似ているといった人物は少ないと思うので、私は下のリンクにある人物が沖田総司だと思います。

フォトレスキュー写助

  小野妹子

小野妹子のARR (2017/6/24)
飛鳥時代の官人。
607年、聖徳太子の命により第1回の遣隋使となる。
生没年不詳

ARRは607年と617年でおこないました。

607年の意識 
P3。
非常に意志が強いというか、肝が据わっているというか、意識は相当落ち着き払っているといった人物です。
意識の感じからすると、小野妹子に魅力的なリーダー像が重なって見えてきます。
小野妹子の意識は、現代でも多くの人間を率いる能力を十分に発揮できると思います。
波動の感じからしても、人を引きつける魅力を持っている人物です。


617年の意識 
617年では、小野妹子の意識は一切出てきませんので、この年代ではもう既に亡くなっていると思います。


ウィキペディア