空 海   

空海の波動振動測定は、すでに「偉人・賢人・有名人」のところに載せています。
書など、空海が直接関係しているものは、けっこういろいろ残っています。
「偉人・賢人・有名人」に測定結果を載せた後も、空海だけは本当にたくさん測定して来ました。
そして、いつも空海の意識振動のすばらしさに感銘を受け、私は空海のサハスラーラ振動を測定判断基準の最高レベルとして来たのです。

最近まで感じていた空海の意識振動です。
その質と振動ポイントを一言でまとめると、サハスラーラ集中、それも勢いと広がりのある振動となります。
このサハスラーラの振動の感じは、今回のアカシックレコードリーディングのイエスや釈迦を抜いては、これまで測定した人物の中では最高レベルです。
今回、この空海の振動が、アカシックレコードリーディングではどのように感じるか、それがとても興味深く思っていました。

そこで、これまで知っている空海の振動を、わざわざアカシックレコードリーディングで確かめても大して意味がありませんので、今回は一番興味を惹かれるところにポイントを置いてみました。
そのポイントは、空海入定(即身成仏)、即ち永遠の禅定に入ったとされる年の空海の意識です。
入定というのは、普通では想像を絶する内容ですので、その時の空海の意識レベルが大変気になり、また意識進化探究の上でも一番興味を惹かれるところです。
空海のこの入定に関しては、本当は火葬をしたとか、空海の弟子の一人が遺骸の埋葬に立ち会ったとか、史実よりも伝承のほうが多いようではっきりしたことは分かっていないようです。
そういう時こそ、リーディングやその他の振動測定などから、何とか一つの結論まで持って行ければと考えています。

空海入定の年は、835年4月です。
アカシックレコードリーディングは、835年の空海で集中しました。
入定は4月ですから、すでにこの年の空海の意識は定まっていたと思います。

では、空海の振動測定からアカシックレコードリーディングまで、順を追って説明していきたいと思います。
先ほども、空海のサハスラーラ振動のすばらしさについては説明しましたが、その空海の意識振動の変化をどこで気づいたかを話したいと思います。

高野山に、現在も空海が禅定を続けているとされる奥の院の御廟所(霊廟)があります。
ここに近づくことは禁止されていますので、長い間この霊廟に関しては不明です。
ここは、御廟橋を渡った先にあるのですが、霊域となるため写真撮影は禁止です。
本来なら、この御廟所(霊廟)の画像は無いはずですが、そこはインターネット、2枚ありました。
この写真画像があったおかげで、今回、知られざる空海が本当に詳しく知ることが出来たのです。
一つは、その霊廟が小さくしか写っていなかったので、かなり拡大して測定をしましたが、2枚とも同じ振動でした。
当然ですが。

本当に空海は、この霊廟の地下に大日如来の印を結び結跏趺坐の状態でいるのだろうか。
もしそれが事実なら、この霊廟の画像からもそれまでの意識振動か、それ以上の振動を感じなければこの霊廟自体の話に疑いが生じてきます。

その霊廟の画像からの測定結果です。
その画像からの振動は、今まで知っていた空海の振動はありませんでした。
空海の強いサハスラーラ集中は無くなっていたということです。
サハスラーラ集中は無くなっていましたが、逆にそれ以上のすばらしい無、無を超えた静けさ、そしてやわらかさ、本当にこれまでの空海の振動よりもっとそばに近づきたくなるような振動をこの画像から感じたのです。

強いサハスラーラの空海より、この振動が何倍もすばらしいと感じるものでした。
これは一体どういうことでしょうか。
この霊廟にサハスラーラ振動が感じられないということは、空海とこの霊廟は無縁ということなんでしょうか。
この時は、まだこの振動がどういうものであるか分かりませんでしたが、久しぶりに何か別なすばらしい振動を発見したという思いになりました。
空海とは関係なくても、私にとってはすばらしい振動の発見ということで、これだけでも満足でした。

この霊廟には、空海がいるかどうかは分からないとしても、これだけの意識振動を持っている人が入っている、それ以外は考えられないということになります。
空海を超える、それほどすばらしい人物が、果たしてこの高野山にいたのかどうか?
こう考えると、空海以外の高僧は誰も浮かんで来ませんので、やはりここに入っているのは空海? 
それにしても、あの強いサハスラーラ振動が消えるはずもないし・・。
とりあえず、これはこれでいったんおいて置きました。

今度は、説明はあとになりますが、今の振動測定の結果が正しかったということを裏付ける内容になります。

それが、空海のアカシックレコードリーディングです。
先ほども書きましたが、
空海入定の年は、835年4月です。
この時の空海の意識が出て来るなら、霊廟の振動と比較が出来ます。
アカシックレコードリーディングは、835年の空海で集中しました。

835年、高野山、空海・・・。
深く静かに集中していると、少しづつ感じが降りてきます。

「これが、・・空海か、・・こうなっていたのか・・、やっぱり空海だ!」

だんだん浮かんでくる空海の感じは、私が知っていた空海とは全く違う意識になっていたのです。
ここまで穏やかになれるのか、ここまで人は変われるのか!
あの、強い振動の空海が・・。

私自身も本当にうれしくなるような感じがどんどん伝わって来ます。

このリーディングでは、あの強いサハスラーラの感じはまったくありません。
逆に、穏やかで心地いい、それ以外何も無い・・無・・、それしか言葉にならない感じです。
そのままじっと、その空海の意識の感じの中にいると・・
全体的にだんだん意識の広がりを感じて来ました。
その時、感じた空海の意識の感じは、釈迦のリーディングの時に感じたものでした。

(釈迦、イエス、マリアのリーディングの前に、空海のリーディングは済んでいました)
空海のリーディングでは、空海はこんなにすばらしい意識になったんだ、というだけで、他との比較も出来ませんでしたので、そこまででした。

釈迦のリーディングの時、「空海も釈迦と同じだ!」と思ったのです。

空海の意識全体の感じは、釈迦の意識にほとんど似ているのです。
集中の最上位点は、釈迦よりは弱いのですがしっかりあります。
そして、強く意識が向いている方向がそのイエス、釈迦にある最上位点なのです。
「天と地」の地の生命力の場もしっかりあり、あとは釈迦のようなやさしさの感じも強く出ているのです。
本当に釈迦と空海の意識的感じは、空海のエネルギーが強くなればほとんど同じと言ってもいいくらいです。
ただ、不思議なことにサハスラーラはほとんど感じられないのです。

ここに意識の秘密が隠れています。

「解脱!」ということは、こういうことか。
サハスラーラ集中の意味はこういうことか。
キリスト意識、仏陀意識というのは、こういうことか。
人間意識の本質とは、こういうことか。
だから、穏やか、やさしさは、ごく自然意識ということか。
そうか、無か、こんなにも豊富でありながら、無ということか。

空海の入定、それは最高の自由と歓びの世界へ入ることだったんだ。

空海は、とうとう仏陀になった。
釈迦レベルになった空海。
空海には、たくさん、
すばらしい人間意識の進化をみせてもらいました。

霊廟の画像からの振動測定とかなり近い空海がリーディングでも出て来ました。
アカシックレコードリーディングのほうが、もっと深い意識を感じられるということもわかりました。
やはり、他に空海レベルの人物は見当たりません。
書やこれまでのたくさんの振動測定データやリーディングから判断すると、これで本当の空海像がはっきり現れて来たように感じます。

空海に大感謝!!