水の結晶と波動振動の関係 

『いのち』と水
     
今回水の結晶について話をしようと思ったのは、今私が作っている超振動を入れた水晶で作る水のことがフト浮かんだからです。
「確か、水の結晶については以前テレビでもみたことがあるなぁ、だったらこの超意識の入った水の結晶はどうだろう」単純にこう思ったのが、水の結晶の波動振動測定につながった訳です。

水の結晶といってもただの結晶ではなく、「水からの伝言」という本をヒントにしています。
「水からの伝言」という本は何年か前に出版されていますが、この内容においては賛否両論があります。
この本については、すでに知っている人も多いと思いますが、簡単に説明しておきます。
水に、美しい言葉や愛の表現などのポジティブな言葉をかけた結晶はきれいな形になるが、悪い言葉のネガティブな言葉をかけた水の結晶は形にならなかったり崩れていたりする、ということです。
一応、サイトを調べこのような言葉を入れたたくさんの水の結晶の写真を調べてみました。
とりあえず、測定した結果と感想を順番に説明して行きたいと思います。

「『いのち』と水」のサイトにある結晶を測定した結果です。
上流の水の結晶は、波動的にポジティブな感じがありますが、都市を流れる川の水の結晶は波動的にネガティブを感じます。
モーツアルトやショパンの音楽を流した水の結晶の写真では、この二人の意識振動を感じます。
ただ、そんな感じという程度でそれほど強い振動ではありません。
あと、ネガティブな言葉とポジティブな言葉を発した水の結晶は、そのとおりの波動を感じます。

その他にも、いろいろなポジティブな言葉を入れた水の結晶の写真を20枚くらい測定してみました。
それは同じ人が入れた言葉だと思いますが、大体結晶はきれいな形になっていました。
もう一つ、自然の中で出来る水の結晶も調べてみました。
波動的には、ポジティブもネガティブも感じられないただ自然の振動といった感じで、結晶自体は完全に美しい形になっています。
次のサイトにも、きれいな結晶写真が載っています。
「水からの伝言」を信じないでください

いろいろな水の結晶の写真を測定した私の結論です。
反対意見もありますが、実際のところこのくらいの写真では答えは出せません。
もっと詳しいデータがあればいいのですが・・。
たとえば、上流の水にポジティブやネガティブの言葉を発したものと何もしないままの水の結晶を並べるとか。
下流の水にも同じことをした結果とか、その変化も見たかったですね。

ただ、今回の写真の測定結果から言えば、結晶がどうのこうのはいいとして、結果的に大事なことはポジティブ意識でそのような波動の入ったモノは調和的でいいものだということです。
結晶が最高にきれいなものは、自然そのものの中で作られるのです。
特に、ポジティブやネガティブな言葉で水の結晶が変わるということ自体が問題ではないと思います。

だったら、私の超振動を都内の川の水に入れたら結晶がきれいになるでしょうか。
結晶がどうなるかではなく、振動によって水の質が変わるのは間違いないでしょう。
その結果、時間が経つにつれ水の結晶もきれいになるかもしれませんが、それはどちらでもいいことです。
たとえ結晶が変わるにしても、結局その原因となるものは人間の想念波動です。
自然であれば結晶の形もきれいなら、ポジティブ波動も自然に近いということになります。
ポジティブ想念の言葉であれば水の結晶もきれいになると、「水からの伝言」ではそれを言いたいのだと思います。
ポジティブ、調和、それが自然ということですね。

今私は、人間の想念、ポジティブ性を超えた振動、それも最高レベルの振動を入れた水を飲んでいますが、すでに体の内部から大きな変化が起きています。
その変化の不思議な感じを言ってくれる人もいます。
健康水・水晶タンブル
これは、水の結晶がしているわけではありません。
すべての根本は波動振動です。
すべての物は、波動振動の影響を受けます。
それは、ポジティブやネガティブのどちらであってもです。
しかし、水は飲むと体内を長い時間循環しますので、その影響も大きくなります。

波動振動の根本は、人間の意識です。
この仕組み、重要性にいかに気づくかで自分の将来も変わるのです。
その自分から出る波動振動は、自分の周りの人にもわかるものです。
自分を守るためにも、幸運を引き寄せるためにも、自分の直感を鍛えましょう。
直感を鍛える方法は、絶えず何かの本質を感じようとすることから始まります。
内からでも外からでも、自分の周りには波動のいいものを置いて、それに囲まれていましょう。
まだほとんどの人は気づいていませんが、波動振動は人に大きな影響を与えることが出来るのです。
原因は根本的波動振動であって、その結果は目に見える形(表現)ということです。
結局、水の結晶だけでなく何でも言えますが、調和であれば何も問題ないということです。